バラエティ番組やライブで活躍する元自衛官の女性ピン芸人やす子さんですが、幼少期は美少女だったのをご存知ですか?
今回は生い立ちや幼少期にどのような暮らしぶりだったか、また、家族との関係の真相にも迫ってみました。
- やす子の生い立ち
- やす子の貧しかった幼少期
- やす子の壮絶な過去
まるで天使という声を集めた幼少期の画像も紹介しています。ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
それでは、順番に見ていきましょう。
やす子の生い立ち
本名::安井かのん
生年月日: 1998年9月2日
出身地::山口県
2歳の頃に父親と生き別れ、母親、やす子さん、妹さんの3人での貧しい家庭だったそうです。
極貧だった家庭環境で、子どもの頃は50円でパンの耳を買い、それで食をつないで生きていたとか。
おなかをすかせた妹さんのため、やす子さんは学校で率先して給食当番となって余ったパンや牛乳を持ち帰って食べていたそう。
給食以外には食べることもままならず、「夏休みは地獄でしたね。給食のないから」と語っています。
やす子の貧しかった幼少期
こんなに愛らしい姿の幼少期ですが、母子家庭であったため貧しく、家にはテレビや洗濯機もなかったそうです。
また、給食以外では食べないで過ごすことも多かったそう。
おなかをすかせた妹のため、やす子は学校で率先して給食当番となり余ったパンや牛乳を持ち帰って食べていたそう。
出典:女性自身
妹さんを喜ばせたい、という一心で、パンの耳を油で揚げたものに砂糖をかけたところ、「お姉ちゃん、美味しい」と妹さんは笑顔になったといいます。
妹さんの笑顔に励まされ、マヨネーズやココアを使うなど様々な味変にも挑戦したそうです。
その頃から「人を喜ばせたい」という気持ちがやす子さんに備わっていたのですね。
「天使すぎる!」「国民的美少女」などの声を集めた、やす子さん幼少期の画像。
それほど貧しかったにもかかわらず、2023年12月3日『坂上指原のつぶれない店』の放送当日、やす子さんは公式 Xで以下のようにコメントしています。
”VTRでは可哀想な感じに見えますが実際子供の頃は貧乏だけどとても楽しかったし、1人で育ててくれた母親には感謝しています 今はとても母と妹とも仲いいです”
出典:やす子 公式 X
このような気遣いができる面からも、やす子さんの優しい人柄が伝わってきますね。
やす子の壮絶な過去
冒頭でもお伝えしましたが、やす子さんは2歳の時に父親と生き別れています。
その後は、自分の父親はいないと思って暮らしていたそうです。
親に頼れなかった中学時代
母子家庭で育ったやす子さんの幼少期は貧しく、中学時代には母親に内緒で自ら児童養護施設に助けを求めるほどでした。
10代の頃すでに、自分の身の安全を確保するために、そのような冷静かつ的確な行動を起こすことができたのは素晴らしいですよね。
それでもやはり中学生のやす子さんには、受け止めきれない現実の厳しさもあったようです。
漫画家や獣医になりたいなど夢はあったものの、半ばちょっと諦めていたやす子は「人生あんまり将来には期待しない方が良いんだろうな」と未来に対して期待を抱かなくなっていたという。
出典:スポニチ アネックス
当時は食事代や遠足の費用を担任の先生に借りることもあるくらい、経済的にもかなり厳しかったとか。
高校時代の壮絶ないじめ
ところが、高校に入ると、またしても想像を絶するような展開が起こります。
ちょっとした一言がきっかけで人気者の女子の機嫌をそこねてしまい、同級生から無視やいじめに遭い、トイレで昼食をとるほど孤立してしまいました。
ひどいことに、担任の先生もやす子さんが児童養護施設を住居としていることを明かしてしまい、やす子さんの高校での居場所は保健室と図書館だけになってしまいました。
それでも柔道部に所属し、高校を卒業するまでがんばりました。
柔道着に帯を結んだ凛々しい立ち姿からは、壮絶な日々を想像することはなかなかできませんね。
やす子さんは、辛い思い出ばかりの高校を卒業すると、衣食住を求めて自衛隊に入隊しました。
そして2年間勤め上げた自衛隊を辞め、清掃員として働いた後、元自衛官というユニークな経歴を生かしてピン芸人として活躍し始めます。
その後のことは、こちらの記事にまとめていますので併せて読んでみてくださいね。
父親との再会
ピン芸人として人気者になったやす子さんですが、そのおかげで2022年、2歳の時に生き別れた父親と思いがけない形で再会を果たします。
芸人になったやす子さんの活躍を知った祖父が、テレビでやす子さんを見つけて「かのん(やす子さんの本名)がテレビに出てる」と気づいて父親に知らせました。
やす子さんのSNSに、父親から連絡がきて、やす子さんが生まれた時間や日にちを知っていたことで、実の父親であると確信したそうです。
「父親は元自衛官だったんです。まったく知らなくて。水泳も柔道もやってたらしくて、しゃべり方とか見た目とか、ちょっと人見知りな、わーってなっちゃうところとか、そっくりでしたし。会ってなかったのに、自分の生き写しを見ているようで」。幼少期に水泳と柔道に勤しみ、自衛隊を退役して芸人になったやす子にとっては、驚きの連続だったことを明かした。
出典:スポニチ アネックス
自分の歩んできた道と、いないと思っていた父親が選択した職業などに多くの共通点を見つけ、やす子さんは相当驚いたことでしょう。
長年会うこともなかった父親との再会を素直に喜び、「死ぬまでに親孝行できたらいいなと思って、うれしい」と言うやす子さん。
幼少期だけでなく、現在も本当に天使のような心の持ち主ですよね。
母親との関係は?
ちなみに母親との関係はどうだったのでしょうか。
複雑な家庭環境だったため、母親とは16歳から22歳までの6年間、一度も会うことはなく疎遠だったそうです。
しかし母親ともやす子さんが芸人になってから、会うようになり、母親と妹さんと一緒に旅行にも行くほど仲良くなっています。
その際に母親からやす子さんの持ちネタ「はい〜!」って言ってよ、とリクエストがあり、応じたところ、それを見ていた妹さんが「わぁ〜本物そっくり」と言ったそうです。
そんななごやかなやりとりが実現したのも、やす子さんが辛い過去を乗り越え、芸人としてブレイクしたからですよね。
まとめ
今回はピン芸人やす子さんの生い立ちや、幼少期の様子、壮絶な過去の真相に迫りました。
- やす子の生い立ち
- やす子の貧しかった幼少期
- やす子の壮絶な過去
いつでも元気一杯の笑顔からは思いもよらないような壮絶な過去を乗り越えて、お笑い芸人となったやす子さん。
その笑顔に癒されたり元気づけられる方も多いでしょう。
ぜひ今後も輝き続けて、人々の心も照らし続けて欲しいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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